なめらかな社会とその敵。10年以上前の本が想像以上に面白かった。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵」という変わった本をおすすめしてもらったので読んだときに自分なりに大事だなと感じた部分をテキストにまとめてたので、アウトプットしておこうと思い公開します。

この本は10年以上前に書かれているけど、今読んでも納得するようなことがたくさん書かれています。

個人的にはシグモイド関数で多様性とフラットの違いを説明していた部分がわかりやすくて好きですねw

是非読んでみてください。 

第1章

  • 自由意志とは、行動の原因ではなく、行動を後付け的に合理化し、自らの一貫性を偽装するために仕掛けに過ぎない
  • オートポイエーシスは、生命とは何か私が生きる意味はなにか、主観性とは何かといった問いに答えている。
  • 人間は理由があって行動をするのではなく、行動をした後に理由を作っている。
  • 脳には複数の運動プロセスが独立に並行して動いており、実際に自分が行った運動を後付けで合理化するという特徴をもっている。

 

リベットの自由意志の実験
運動を開始するシグナルとなる準備電位は、その運動をしようとする意志のタイミングよりも300ミリ秒早く始まる。
つまり、意志より前に運動が始まっている。→リベットによると、意志というのは拒否権である。
自由意志というのは、複数の平行して開始される運動プロセスの中から適切でないプロセスを拒否する機能に過ぎない。
だから自由意志は運動の準備電位の前ではなく300ミリ後に起こることになる。

 

第2章

  • 権力者は周囲の人々にとっての「影響力のメディア」として機能する
  • 膜(内と外の区別)、核(小自由度による大自由度の制御)、網(複雑な反応ネットワーク)という3つの概念
  • 大局的な違いは、局所的な同質性の繰り返しから生じる。ステップのない社会状態を記述するのに「なめらか」は適している
  • 認知が離散化されると、適合する人工物や社会制度が離散化される。
  • なめらかな社会では、社会の境界が曖昧になるが、フラットではないのでそれぞれの概念そのものは変質しつつも、完全になくなるわけではない。
複雑さと向き合うために生命の進化は2つの解決策を生み出した
  1. システムの境界を同定して内と外を分ける膜によって複雑さを縮減し、核によってシステムの内部と外部を制御する技術
  2. 環境のほうに複雑さを押し付け、全体としての知性を増幅させる建設的手法→一部の認知リソースを解放し複雑なまま世界を認識させる認知的余力を生み出すことができる。

 

第3章

貨幣には2つの制約条件がある

  1. 欲望の二重の一致の困難を解決する
  2. 自己言及的に価値が維持される
PICSYのモデル>
静的モデルにおいては、N人の人がいて相互に評価する場合に、N×Nの行列をつくる。評価の高い人からの評価を重く、評価の低い人からの評価を低く重み付けしてそのコミュニティ全体でのその人の評価を決めることができて、これを貢献度ベクトルという。マルコフ過程の定常状態のときが静的モデル。

 

第4章

◾︎万能機械主義の時代

「人間さえもコンピュータの上でシミュレートされるプログラムの一つに過ぎない」と主張する時代。

◾︎ 身体環境主義の時代

  • 身体をもった人間と相互作用をする相手として捉えるような研究、HCIが生まれた。
  • ダグラス・エンゲルバート(1968年):「人間は計算機の上でシミュレーションされる対象ではなく、むしろ計算機は人間が生み出した人工物であり、人間と計算機は相互作用を通して共進化する。」この共進化を「ブートストラップ」と呼び”The Demo”で知れ渡った。
  • アラン・ケイ(1992):パソコンの父。オブジェクト指向言語を生み出した。パーソナルコンピュータを「個人が動的にメディアを作るメディア」すなわち、メタメディアと位置付けた。(マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」から影響を受けた。「メディアはマッサージである」)

コンピュータを教育の道具として使うのではなく、「メディアをつくる」教育をすることが重要だと訴えた。「コンピュータリテラシー

コンピュータは人間のつくりだした人工物の一つに過ぎない。だが、コンピュータはただの人工物ではない。メタメディアであり身体や環境自体をシミュレートできるという「特殊な人工物」である。

◾︎ ネットワーク主義の時代

  • コンピュータとは、「計算する機械」という意味から「世界のなんらかの自然現象をノードとして切り出してネットワークでつなぎ、入力に対する出力として人間にとってある種の意味作用を安定的に形成できるもの」へと変容している。
  • ユビキタス時代になるとコンピュータとは物理現象と認知世界の間に万能のミドルウェアを提供する存在である。
  • コンピュータをめぐる人間の知的関心は、人工知能(AI: Artificial Intelligence), と知能増幅(IA: Intelligence Amplifier)の2つの流れがある

◾︎ 社会知性:コンピュータとしての社会

  • 本人は遊んでいるつもりなのにコンピュータネットワークによってある種の作業に変換されてしまう。「エログリッドコンピューティング」と呼ばれる人間の欲望を駆動力にしたアイデアが元になっている。
  • CAPTCHA(Completely Automated Public Turing test to tell Computers and Humans Apart)の発明者フォン・アーンはSPAM業者のアイデアを利用し”ESP(Extra Sensory Perception) game”(ユーザに簡単なゲームをさせることで検索エンジンの精度をあげようという試み)を発表した。
  • 「計算可能な数について」by チューリング(1936) では数学者が頭と紙と鉛筆で計算していたプロセスをどのようにして機械に置き換え可能であるかという視点から計算機械が論じられている。

◯ ヒューマンコンピュータが軍隊のような階層的な組織を参考にして組織管理を行った。対して、
◯ ヒューマンコンピューテーションでは、人間素子の自発的な参加を促すインセンティブを与えるゲーム性を重視していることにある。

 

第9章

◾︎ メディアとは何か

  • 通信メディアは、受信者の情報量を増やすことによって、発信者が受信者を制御する『核』となる技術である。
  • 通信メディアにおいて大切な点は、同質のメディアを利用している者同士でしか通信ができず、同じメディアを受信可能な者同士で『膜』を形成することである。
  • メディアは、異なる身体性(欲望)を結びつける能力が高ければ高いほど、メディアとしての能力も高いことになる。
  • 貨幣は足し算して集積可能なもので、同一の価値基準をもっているように見えるにも関わらず、異なる解釈と身体認知プロセスで利用されているという点に、貨幣というネットワークメディアの肝がある。
  • 電子マネーはより多様に重層的に複雑に異なる身体性と欲望を結びつけることを可能にするために「電子マネーによって貨幣はより純粋になる」という命題は必ずしも成立しない。

◾︎ ゲームの労働化と労働のゲーム化

* 行為と意味の関係が間接化する


◯フォード生産システム→人間の機械化(位置依存)
クラウドソース化→人間の計算機化(ゲームによる動機付け)
ー 共通点は、人々が自分の行為がどのような影響を与えているのかわからなくなる。

 

* ゲームの労働化


◯ゲームの労働化 ー 意味世界との間接化を促進する(ex. reCAPTCHA) →現実逃避の現実化
◯労働のゲーム化 ー 意味世界との直接化をもたらす(ex. Kiva, eBay)→現実の現実逃避化
[意味世界≠現実世界で行為が当人にとって意味を持つかどうかが問題。対処がゲームの世界観であっても良い。]

「現実に」現実はゲーム化していて、人工物と人間の認知システムの共進化プロセスの一環である。

◾︎ 複数化する現実とパラレルワールドの誕生

  • 労働のゲーム化が意味世界との直接化だとしても、それによって必ずしも<現実>世界との関係を正しく認識することが出来るようになるわけではない。「AをBとしてみることができる」という命題は「AはBである」ことを含意しない。
  • Aという現状の複数解釈をあぶり出している。→世界のあらゆる現象は常に複数の解釈系のあてはめを許容している。
  • ゲームプレイワーキングがもたらす帰結は、「現実」の複数化の加速である。これはゲームの労働化による間接化と労働のゲーム化による直接化に共通で起こる現象である。
  • ARで「現実」の複数化はされに過激に進む。
  • 電脳メガネは<現実>世界に重層的に意味世界が重なっていく、いわばパラレルワールド(並行世界)を扱っている。

「複数の現実」がパラレルワールドとして出現するという議論は、すでに存在している

量子力学的な可能世界に代表されるような環境(物理)論に由来するぱらパラレルワールド
クオリア論や社会構成主義に代表される脳/身体論に由来するパラレルワールド
◯ 相互に関係した「インンターフェースに由来するパラレルワールド
20世紀は「正義」の時代だったが、21世紀は「ゲーム」の時代になる。「ゲーム」の時代では敵と味方の区別はあくまでも着脱可能である

  • パラレルであっても物理的には相互作用をしているので、物理世界におけるコンフリクトは起きてしまう。自然知性を用いてコンフリクトを減らすことができる程度にしか異なる欲望を結びつけることが出来ず世界の複雑さは万人にとって許容されずパラレルワールド化も進まなくなってしまうだろう。
  • パラレルワールド化によって人々がより異なる認知世界を生きるということは、複雑なまま生きることを可能にする。これによりコンフリクトの多様性、複雑性も爆発的に増大する
  • これはネットワーク主義の自然計算、自然知性の視点からは、情報技術は単に抽象的な世界のビットの操作ではなく物理世界に影響を与える万能のミドルウェアである。

 

メモレベルなので何言ってんのかわからないかもしれないですが、本の中で具体的な話を読んでいると面白くて引き込まれると思います。

また時間があるときに読み返したい本。

 

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵